
2017/05/19
皆さん、こんにちは。
たいへん暑くなりました。サッカーワールドカップも、日本の早々の予選敗退で一遍に興味が半減してしまいましたね。しかし、今回の大会で、日本の実力というかレベルが世界のトップレベルとあんなに違うのかと、まざまざと見せ付けられた思いがします。やはり、歴史とか環境とか体格とかメンタリティなどあらゆる要素が集約されて選手層の厚さになっているわけで、そう5年や10年でかんたんに追い付けるものではないのかと思い知らされました。そのわりには、日本の大相撲はここのところ、海外組に席巻されてしまって、日本の国技というのに日本人はどうしてしまったのだと嘆かれる方も多いのではないでしょうか。こちらはどうも体格とハングリー精神が、日本の伝統を凌駕してしまったようです。
スポーツの話題には今の時期、事欠かないわけですが、今回はこの冬に起きた事件について、目に留まったコラムをご紹介したいと思います。何回読んでも胸が詰まって涙が溢れてしまいます。今の時代、きっとどなたもいろんなかたちで関わってみえる問題だと思います。
「もう一度、母の子に生まれたい」。これほど子どもの愛情がこもり、母親にとってうれしい言葉はないだろう。だから一層つらくなる。
二月、認知症の母親(八六)を合意の上で殺害したとして承諾殺人罪に問われた京都の男性(五四)。昨日の夕刊などによると初公判では異例にも検察が、被告の母への愛情を詳述し、裁判官は言葉を詰まらせた。冒頭の言葉は被告が法廷で語ったものだ。
アパートでの二人暮らし。母親の症状は昨春悪化して、被告は介護に追われて会社を辞めた。失業保険の給付が終わり、カードローン借り入れも限度額に。桂川の河川敷で「もう生きられへんのやで」と言うと母親は「一緒やで、おまえと」。被告は母親の首に手をかけて、自らも自殺を図った。・・・
介護疲れなどが直接の動機や遠因の事件がしばしば起こる。昨日は、ぜんそく発作に苦しんだ母親(七七)への承諾殺人罪に問われた東京の男性(五四)に、執行猶予の判決があった。介護を一人で六年以上も続けていて、判決は「母親の命を絶つことを選択せざるを得なかった辛く悲しい胸の内は察するに余りある」と。
「五十の児に 七十の母あり/この福(さいわい)人間(じんかん)得ること まさに難(かた)かるべし」。年を経ても母と子がいる得がたい幸福を母思いの漢詩人、頼山陽(らいさんよう)はうたった。
が、その五十代が母の介護で追いつめられ、悲しい選択に走った。行政に救うすべはなかったか。そんな政治は無理なのだろうか。
京都の男性は事件前日、母を車いすに乗せて市内観光に連れ出したという。姿を想像すれば、活字がにじむ。
まだ、数ヶ月前の事件ですのでよく覚えてみえる方もたくさんおられると思います。私もこの五月に父親を失くしましたが、最後の9ヶ月は病院で面倒を看てもらいました。自宅での介護というのは本当に大変なことだと思います。まして一人でなどとなれば、もう自分の生活はできないでしょう。今はまさに超高齢化社会です。今すでに、すべての人に直接関わってくることで、避けて通ることのできない重い課題だと思います。行政や回りの助けも得ながら、せめて家族の絆はしっかり保ち協力し合って、来るべき近い将来に備えることができればと思います。
それでは、まだこれからますます暑くなりますが、暑さに負けず、歳にも負けず、頑張って仕事も遊びにも励みましょう!
