
2019/01/30
異常に暑かった夏や異常降雨や地震や台風と、異常続きのこの夏以降でしたが、皆様は無事にお過ごしでしたでしょうか。
ホント、こんな異常気象が毎年続いたら、日本も地球ももう終わりに近づいたんじゃないかなと思うぐらいですね。まだ、全ての地域が一斉に異常気象になっているわけじゃないので助け合える余地がありますが、それにしても何だか人類の知らないところで末期現象が進んでいるようで不気味であり不安です。日本がこんなに自然災害の多い国だとレッテルを張られてしまうと、せっかく増えている外国の観光客も減ってしまうのではと心配になりますね。何とか10月以降はいい天気の秋冬になりますようにとみんなで祈りたいと思います。
さて今日は、あのケネディ大統領に教えてもらって初めて知った上杉鷹山公のお話です。当時、日本人もほとんど知らないのに、米国大統領が、最も尊敬する日本人と云ったそうです。よく勉強というか研究しているのですね。今の日本にぜひとも蘇ってきてほしい人物だと思います。贅沢三昧の今の日本人がついていけるかどうかがちょっと疑問ですが・・・。
それでは、少し前の冊子のコラムですが読んでみてください。
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「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり」
どんな事でも強い意思を持って取り組めば、どんな事でも必ず成就するという“やる気の大切さ”を説いた
名言でご存知の上杉鷹山(うえすぎ ようざん)公です。
上杉鷹山は、江戸時代中期に米沢藩(現在の山形県米沢市)の藩立て直しに尽力した稀代の名君です。
1961年、第35代米国大統領となったロバート・F・ケネディは、「最も尊敬する日本の政治家は?」と 問われ、「上杉鷹山だ」と答えています。先年には、ケネディ大統領の実の娘であり駐日米大使に就任したキャロライン・ケネディ氏が、上杉鷹山にちなんで地元米沢市で行われた「なせばなる秋祭り」に参加したほどです。昨今では顧みられることが少ないかもしれませんが、江戸時代屈指の政治家の一人と考えても過言ではないでしょう。
10歳で米沢藩主・上杉重定の養子となった鷹山でしたが、当時の上杉家は関ヶ原の合戦で西軍についたため、
会津120万石から米沢30万石に減封され、さらには後継問題で15万石となり、ついには借金の総額は20万両に及び、深刻な財政破綻をきたしていました。14歳から3年間は儒学者、細井平洲に学び、やがて17歳で破綻寸前であった米沢藩主となった鷹山は、1500両であった江戸仕切料(江戸での生活費)を209両余りに減額、奥女中を50人から9人に減らしました。また土を耕して帰農を奨励し、作物を育てるなどの民生事業も積極的に推奨していきました。
江戸四大飢饉の一つと言われる天明の大飢饉でも、非常食の普及や、藩士・農民に倹約を奨励するなどして
対策に努め、見事に乗り切りました。さらには、閉鎖されていた学問所を藩校・興譲館として自らも学んだ細井平洲などによって再興させ、藩士・農民の身分を問わず学ばせました。鷹山は眼前の窮乏だけではなく、未来も見据えていたわけです。その他にも養蚕・織物・陶磁器・和紙などの事業を成功させ、出生養育手当の支給、敬老会の開催など、数々の施策と裁決で破綻寸前の藩財政は立ち直り、次々代には奇跡的に借金を完済することが出来ました。
現在の日本の財政も破綻寸前との意見もありますが、現代人が鷹山公から学ぶことは多いようです。
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以上です。
現代に、「質素・倹約」などという言葉は死語みたいになっていますが、それでも、少し前に「モッタイナイ」
という言葉が、外国の要人によって注目され国際言葉になったという話がありました。外国には、そういった概念がないのか、「もったいない」に当てはまる言葉がないということでしょうか。一度便利さを覚え、おいしいものを食べて味を知ってしまうと、もうそれ以前の不便で質素な生活にもどるなんてなかなかできないでしょうね。しかし、同じ地球上には戦争、飢餓に苦しみ、生きるだけで精一杯な人達もいっぱいいます。せめて、私たちはものを粗末にしないようにして、平和な国に感謝して生きたいものですね。
それでは、秋の味覚「サンマ」をはらわたも残さないよう味わって食べて、お元気にお過ごしください。
