
2017/07/05
みなさん、こんにちは。
いよいよ明日から四月というのに、この寒さはいったいどういうことでしょう。二日前には雪混じりの吹雪の様相でした。桜が咲き始めていましたが、このまま咲いていいのか、しばらく様子を見ようか迷っているようにも思えます。花冷えというにはちょっときつすぎる感じですね。
多分、このニュースレターが皆様のもとに届く頃には、きっと暖かくなってもう少し春らしくなっているのではと思います。桜はもう散り始めているかもしれませんね。
最近、海外で大地震が起きています。日本も、各地で小さな地震が頻繁にあり、この東海地方ももうそろそろかななどと思ったりもしますが・・・。東海地震、東南海地震など、もういつ起きてもおかしくないなどと言われて久しいですが、できることなら起きないでほしいものです。大地震も、上品な女性のオナラ?(私の勝手な思い込みですが・・・)みたいに、小出しにプッ、プッ、プッと小さく分けて起きているうちに、だんだんエネルギーを使ってしまって終息してしまうというようなふうになればいいななどとのんきなことを考えています。
戦争や内戦、テロなどで荒れている貧しい国や地域、貧しい上に地震や災害で大被害を受けた地域など、地球上は平和な地域と不幸な地域とあまりにも差がありすぎる気がします。日本は、阪神大震災がありましたがみごとに早期復興しました。ありがたいはなしですが、日本はあまりに平和すぎて平和ボケというか裕福がうえに、国民すべて大志を持ったハングリー精神というものが希薄になってしまったのではという気がします。
チリやハイチなどの被災地に対しては、一刻も早い復旧を願うものです。
今回は、偶然ではなく必然の結果というものについてのコラムですが、なるほどそういえばと思いましたのでご紹介させていただきます。
地震の時、がれきなどの下敷きになった人々の生存率が極端に下がるとされるのが、発生から七十二時間。生死を分ける過酷な目安だ。
だが、目安はあくまで目安である。例えば、しばらく前に伝えられたハイチの十七歳の少女のケース。あの大地震発生から実に十五日ぶりでがれきの下から救助されている。
助けたフランスの救助隊員が「奇跡だ」と語ったというが、むべなるかな。だが、なぜそれほど生き延べられたのか。どんな状態にあったかなど子細は不承知ながら、勝手に思ったことがある。
セレンディピティーは、辞書には「(偶然に)ものをうまく見つけ出す能力」などとあるが、大発見につながるような突然のひらめき、と考えてもいいだろう。アルキメデスが風呂から素っ裸で外へ飛び出したのも、その出現の直後だったはずだ。
科学者の誰かがそれを「偶然と言われるのは心外だ」と言っていて、なるほどと思った覚えがある。何かを長く突き詰め、あきらめずにいた者にしかセレンディピティーは現れない。それは多分「奇跡」も同じ。あの少女も決して生をあきらめなかった。だから助かった。そんなふうに思える。
誰かに訪れた不思議な幸運は「偶然」に見えることが多い。けれど、きっと、常に理由はあるのだろう。そしてそれはおそらく、その人の根気とか粘りとか案外、地道な理由なのである。
以上です。
努力の結果というよりも、あきらめずに続けていた結果という感じでしょうか。意識を持ち続けていた結果、ある日突然にひらめいたり、うまく物事が運び始めたり、花開いたり・・・。
そうなることを期待していろいろ続けていることがありますが、なかなか花開きません。やはり、中途半端にただ続けるだけではダメで、地道な努力が伴ってなければ一生花は開かないということでしょうか。世の中そんなに甘くないということですね。
それでは、なんとか大地震が来ないことを願いながら、平和に桜の開花を待ちたいと思います。どうか皆様も季節の変わり目ですので、風邪などひかれませんようご自愛下さい。
